Warwick

Company

Philosophy

Warwickの「違い」

絶えることなく製品開発を続けることや、それに伴う工作機械や新技術に絶え間なく投資し続けること、それらはWarwickのポリシーではありません。そういうもの頼り切ることは、真のクラフトマンシップに差し障りがあるからです。木材を選ぶ確かな目、そして楽器に加工していく確かな手、それらがサウンドを決定的に左右するからです。

Warwickは、他のベース・メーカーとは異なり、木材を原木のまま、つまり未製材の丸太や、製材してあったとしても単なる板材の状態で仕入れています。このことで作業量は確かに増えますが、そのおかげで木材の品質管理を完璧に行うことができ、それは自ずと完成品のクオリティにも反映されます。仕入れた木材は選別され、3〜5年ほど寝かせます。その間にWarwick独自の乾燥倉で適正な含水率になるまで乾燥させます。この工程には長年の経験が必要ですし、辛抱強くなくてはできません。一方でWarwickは、ベースづくりに関する様々な最新テクノロジーも他社に先駆けて貪欲に導入しています。その結果、素晴らしい楽器が生まれると同時に多くのミュージシャンに喜んでいただけるのです。これは本当にハッキリとしたメリットと言えます。つまり、単調な作業を積極的に機械に任せることでクラフトマンの負担を軽減することができるのです。これは同時に手作業により発生しうる不良率を徹底的に低減できるだけでなく、単純作業によるクラフトマンの労働意欲を削ぐことも防げます。これにより、常に高品質の楽器を世界中に送り出すことができるのです。

製作工程の機械化により、スケール・メリットも生まれます(もちろんそれは需要によって決まるものですが)。これは個人レベルの工房では得難いものです。高い生産力とともに、Warwickでは汎用品のギター・パーツに頼り切ることなく、ベースにとって、ひいてはベーシストにとって必要となるパーツそのものも製作しています。それが、Warwickベースの使い心地の良さや、独自のデザインとして反映され、汎用品や時代遅れのテクノロジーに頼り切った製品よりも却ってコストダウンにも繋がっているのです。

FramusがWarwickの原点

フレッド・ウィルファが故郷のワルサーグリュンに戻ったのは、第二次世界大戦の終戦直後でした。彼は帰郷後すぐに、当時米国の管理地だったズデーテン地方は間もなくソ連に移管されることにより、この地に将来的な展望はないだろうと考えるに至りました。そこで彼はアメリカ人の助力を得ながら、ショーエンバッハからフランコニアへバイオリン・メーカーを移転させるという、際どい事業を何とか乗り切りました。この、エアランゲン地方(ドイツ南部、バイエルン州北部)へ移転したことが、楽器メーカーとしての第一歩となりました。

戦後まもなくの1945年から1947年の間、フレッド・ウィルファは、ショーエンバッハから引き寄せたバイオリン職人たちのための住居探しと、彼らを雇い入れることに奔走しました。何もないところから彼は何とかして職人たちの住居、工作器具、原材料を確保しました。次に彼はミュンヘンの役所に常駐するが如く通いつめて頭の硬い役人たちと交渉を続けた結果、配給切符と事業計画の承認を取り付けました。その一方で彼は1946年にFramusの事業を立ち上げました。Framusとは、「フランコニアの楽器」(FRAnconian MUSical instruments)という意味が込められています。Framusの事業設立によって、ショーエンバッハからやってきたバイオリン職人たちとって、このフランコニアが彼らの新たな本拠地となったのです。

初期の工房はエアランゲンにほど近いミューレンドルフにある地域のワークキャンプに設立しました。この工房は予想以上に急激に手狭になってしまい、Framusはバイエルズドルフにあるビルに移転しました。ここで事業に大いに励み、事業は徐々に軌道に乗り始めました。1954年頃にはこのビルもいよいよ窮屈に感じられるようになり、フレッドは新たな工場を建設する必要に迫られました。そこで翌1955年にブーベンロイトに新工場を設立しました。この時までに従業員は300名ほどになりました。その多くはショーエンバッハから移住してきた職人たちでしたが、この地の職人も徐々に増えていきました。この時すでに主要な製品はギターであり、全世界に輸出していましたが、それでも工場ではチターやバンジョーも製造していました。また、Framusのブランド名が世界的に浸透してきたのも、この時代でした。

1966年、第2工場を観光地で知られるフレンキシェ・シュヴァイツ地方にあるプレツフェルドに設立しました。ブーベンロイトの工場が手狭になったためです。この第2工場で新たに100名の従業員を雇い入れました。1971年はFramus設立25周年に当たり、フレッド・ウィルファはコンラート・アデナウアー(元西ドイツ首相)、ルートヴィッヒ・エルハルト(元西ドイツ首相)、テオドール・ホイス(元西ドイツ大統領)といった政治家から、音楽産業への貢献に対し表彰を受けました。また、翌1972年にはフレッド・ウィルファの当地における楽器産業の発展に尽力したことを表彰して、ブーベンロイトの自治体当局から名誉市民のメダルを受けました。

一方1970年代は、日本など極東の楽器メーカーの興隆により、低価格の製品が市場に出回るようになり、価格競争でブランド維持が危ぶまれるほど厳しい時代でもありました。その結果、1975年には数々の工場が閉鎖や破産に追い込まれる事態となりました。これはフレッド・ウィルファにとって極めて苦い経験となりました。彼は事業から退くことになりましたが、その末っ子であるハンス・ペーターが新たな事業に乗り出しました。こうして1982年、Framusから多くを引き継ぎつつ、Warwickが創立しました。

フレッド・ウィルファ(Alfred Andreas Wilfer)はその後、1996年12月29日にマルクノイキルヒェンでこの世を去りました。彼は1917年1月2日にズデーテン地方のワルサーグリュンに生まれました。彼はFramusの創業者であり、Framusの名を世界に広めたその事業は、ドイツの楽器産業に大きな足跡を残しました。

Warwickの伝統はこれからも

Warwickは1982年バイエルン州エアランゲンでハンス・ペーター・ウィルファによって設立しました。ハンス・ペーターは子どもの頃から楽器製造と販売に関するあらゆる「秘訣」を身につけました(彼はまさしくFramusの工場の木屑に埋もれるようにして遊びながら成長したのです)。彼は楽器製造に関する深い知識、そしてあらゆる努力をクラフトマンに注ぎこみ、その結果、Warwickを世界で最も信頼におけるベース・ギター・ブランドへと成長させました。のみならず、Warwick製品の販売網をドイツやオーストリア中に張り巡らし、さらにヨーロッパやアメリカのリーディング・カンパニーからの製品も販売しました。Englのアンプや、Rotosoundの弦、Rickenbacker、Seymour Duncan、Heritageの各ブランドは、プレミアム・ブランドとしてWarwickグループからディストリビューションしています。

1995年、Warwickは数世紀に渡る楽器作りの伝統があり、音楽の街として知られるザクセン州マルクノイキルヒェンに移転しました。このため、高いスキルを持つ楽器職人を雇い入れることが容易となりました。また、新工場には最新鋭の製造設備を導入し、これはハンドメイドによる工程とともにWarwickの高い品質を誇る原動力となりました。こうしてWarwickは現在、比肩しうるメーカーがないほどに膨大な種類の製品を高品質で世界中に送り出しているのです。

1982年の創立以来、Warwickはクラフトマン個々人の努力と信頼におけるビジネス・パートナーの助力により大きく成長しました。事業としては、昨今ドイツ経済が減退しているにも関わらず、非常に楽観できる状態にあります。これはひとえにWarwick従業員の職務に向き合う姿勢、世界中のビジネス・パートナーの尽力、そしてWarwickを愛してくださる世界中のミュージシャンによって支えられているのです。そしてこの素晴らしい関係は、未来へも変わることなく続くのです。

2012年、Warwickは創立30周年を迎えました。競合他社が増え続ける中にあっても、Warwickは今後も大きく発展していくことでしょう。現在、Warwick製品は世界50ヶ国で販売されています。このようにWarwickは、あらゆるベース・プレイヤーから常に注目されるベース・メーカーの一社であり、そしてドイツ、ヨーロッパでは唯一のロック産業における弦楽器メーカーとして、今度も楽器産業において独自のポジションを確保していきます。